天気は晴れ、だけど結構寒くなってきまして、体育もいつの間にか皆“全身長ジャージ”というイアン・ソープか!?っていう感じになってきました。もちろん水泳じゃないですけど。
国語の古文。やはり苦手分野でした。わかんなかった。
そんなわけで実力テストみたいなやつの順位が。。。
学年順位ですね。
はい、良くなりました。っていうか有り得ないくらい良くなりました。二分の一くらいになりました。数学と英語は平均点より少し良くて、国語は平均点より僅かに低い。そんなもんです。
これより下は私の戯言と思ってくだされば幸いです。どう思うかは人それぞれだと思います。
このテスト順位は私の人生の結果に…結果があるのかわからないけど。。。結果にどれくらい影響するのだろう。きっとテスト順位なんて人生において、私の身体に流れる1000年前の先祖の血の量程度も影響ないんじゃないか。…テスト順位で進路が決まり、それによりどんな職につくかが決まり、そこからどう生きるかも決まり…その結果としてテストは微塵の影響にもならないんじゃないか。生き方なんていくらでも決められるし、変えられる。
なんだ、テストの点も順位も過去の産物ってわけか。そういうことか。
じゃあ良かった成績もよくなかった成績も過去の産物になっていくのか。
ならば何故、人間は努力するのだ?
努力さえ過去の産物となり得るのならば努力をすることに意味、意義はないじゃないか。一時の栄光を求めるのか。人生の結果にはそれらの努力と一時の栄光が思い出としてあるだけか。
否。
人間が生きる意味なんてない。物心ついたときにはただ漠然とした想いがあって生きてる。それはいつしか夢となる。
勉強してることもテストの順位も成績も、人生の結果においては過去の産物になり、思い出となる。しかしそれは物心がついたときの漠然とした“これが好き”という思いが変わった“夢”というものを叶えるための糧となり得るんじゃないか。
じゃあその“夢”を叶えてどうするんだ?
世界でこれまでに思い描いた夢を寸分の狂いも無く叶えた人はどれくらいいるのだろうか。いや、寧ろ、どれくらいと数えられるほどいるのか。皆無に等しいのではないか。
歴史に出てくるニュートンやガリレイなどの科学者も思い描いた夢をそのまま叶えたわけじゃあるまい。
夢を叶えてどうするのかの結論として、やはり好奇心的なものが一番じゃないか。漠然とした好き嫌いから夢に変わる。そしてそれは人生の目標とも言うべきものになっていく。だから夢を叶えてどうする、っていう答えは無いんじゃないか。
夢とは人間が無意識のうちに持っている人生の目標であり、幼い頃に思った漠然とした好き嫌いが基盤となっているんじゃないか。その夢を叶えるために人々は勉強し、各々の進路を決める。勉強の寄り道としてテストがあり、成績があり、その寄り道での頑張りは、時に夢を叶えるための糧となり得るんじゃないか。
もちろん勉強したことがそのまま糧になるとは思えない。プロ野球選手になるのにサッカーの知識は不必要。
でも勉強したことが不必要だらけになるとも言えない。プロ野球選手になるのに医学を学んだら不必要かと言えばそれは不必要とも言い切れない。ただ必須かとも言い切れない。プロ野球選手にとって身体は大切なものであり(誰しもそうだけど)、それを守るために医学は学んでおけば便利だろう。まぁそんなことしてるんだったら野球の練習をしろ、という感じではあるが…。
そういうことだ。勉強したことは夢を叶えるための糧になる。
だから、テスト順位が人生の結果に蚊の血程度しか影響を齎さなかったとしても、勉強することは夢という無意識のうちに持っている人生の目標を叶えるための糧となると信じて勉強しましょう、ってことじゃないかって思うんですよ。
そうそう、夢だけが人生の目標になり得ると言うわけじゃないと思います。夢を叶えられない人もいるわけです。
ならば、それこそ勉強は過去の産物となるのではないか?
否。
夢を叶えられなかった人が夢を叶えるための勉強を『勉強しなければよかった』と嘆くかどうか、それは無いんじゃないでしょうか。夢のために頑張った、努力した、やはりそんな努力の思い出はたとえ夢が叶わなかったとしても素晴らしいものになるんだと思います。
生きてる意味なんて人それぞれだし、夢を叶えるために生きてるなんていうのは一部に過ぎないわけだし。例えとして、勉強=夢を叶えるための糧、として話しただけで、生きてる意味は人それぞれなんだと思います。
はい、どうだったでしょうか。
この主張(?)は現代での話です。誰が形成したかわからない現代。きっと2000年前の人間たちは富や権力に溺れることなく平和な生活を送っていたのでしょう。たしかにどちらが便利かと言えば現代でしょうけど。。。
この世は腐ってる。
DEATH NOTEの一文ですけど、はい。誰が決めたのかルール。それを守ろうとする者、守らない者。それさえおかしいんだ。良い、よくないの区別。それがわからないからルールを決め、万人に守らせる。よくないことをよくないと誰が決めたのか、良いとよくないのボーダーラインは誰が決めたのか。決してよくないことを肯定してるわけじゃないけど、こんなルールが柱であるかのような現代で自由をどう求めるのか。表だけの世界に何故なれないのか。少なくとも2000年前の世界では人間同士は協力し合っていたんじゃないか。
環境の変化?
否。
人間が変わったんだ。いや、変えたんだ。ルールにルールを重ね、万人に守らせる。これじゃあ、いつしか人間はルールを守るために生きている、となってもおかしくないじゃないか。
そんな世界は腐ってる。
ルールというのは、便利を手にし、良いことよくないことの区別が出てきて…つまり、平和の調和を促すためのものじゃあなかったのか。ルールを守ること、守らせることが大切なのではなく、世界平和を保つためにルールを守るんですよ。
腐ったこの世を治療するには人間を排除すべきか、ルールを排除すべきか。
終わった。寒い時期に寒い所にいた人間が、炬燵のある暖かい所へ行ったら、寒いところへは戻りたくないんだ。そう、便利を求め、便利を手にした人間は2000年前の世界には戻れないんだ。つまり、良いことよくないことのボーダーラインがある現代、ルールでそれを守ってる現代から、ルールを排除したらそれこそ人類滅亡。
この腐った世界に慣れて、生活していくしかないんだろう。自由。
はい、主張(?)からちょっとした説明をしたら“腐った世界”の話にまでなってしまいまして。。。
まぁ、“腐った世界”の話はゆっくりね。
というわけでテスト順位から成績、勉強、努力、人生の目標、夢、夢を叶える、といった感じの話をしました。
どうだったでしょうか。素晴らしい。
では終わります。さよ〜なり〜♪
楽に行こう!!
