昨日は“好き嫌いについて”の主張を書いてみたわけですが、今日は“続・好き嫌いについて”と題して少し主張を書いてみようと思います。
“好き嫌いについて”の主張で、部分的好きから全体的好きになる、と書いた。とすると、部分的嫌いから全体的嫌いになることもあるのだろうか。
嫌いから好きになるためにするべき、考えるべきことの一つ、先入観を持たない。例えば、友達から紹介された初対面の人(後に友達)がいたとする。自分は初対面なので全く何も知らなければ、第一印象しかない。
しかし、友達はその人と友達なのでどんな性格なのか、など知っている。そして自分にもその人がどんな人なのか教える。優しい、頭が良い、運動神経が良いetcと。
それが先入観となる。人と接するとき、ほとんどの場合、その人はどんな人だ、という先入観で接する。それは別に悪いことじゃないし、相手のことを理解しているということである。
しかし、友達が教える先入観が悪いものであるのはよくない。優しい、頭が良い、運動神経が良い、といった良い面ならまだしも、頭が悪い(頭の良い悪いのボーダーラインはわからないが)や運動音痴など、その人が気にしていることや先入観(又は印象)として悪いイメージを教えたりすることは感心できない。
もちろん、私も友達に友達のことを話したりするときに良い面だけしか言ったことがない、とは言えないだろう。それは万人に共通することだと思う。それは良い面しか持たない人間なんて存在しないし、良い面も人によっては悪い面、悪い面も人によっては良い面に思えるかもしれないから、というのもある。
だが、友達に友達のことを話すのに悪い面を言ったとしてもそれでその人の印象が悪くなり、友達がその人を嫌いになる、となるのはあまり多くは無いと思える。その悪い面のみが嫌い(つまり部分的嫌い)になることはあるだろう。
しかし、その悪い面だけですべてが嫌い(つまり全体的嫌い)になることはほとんど無い。寧ろ、全体的嫌いどころか部分的嫌いにもならず、悪い面を教えられたとしても「へぇ〜、そうなんだ」と特に発展しない印象となる場合も多いと思える。
すると、初対面の人に持つ友達からの印象、先入観が悪いものであったとしても、それは部分的嫌い、もしくは部分的嫌いよりも小さな嫌いになり、そこから全体的嫌いに発展することはほとんど無いと考えられる。それどころか嫌いという概念が出ないことすらある。
ならば、初対面じゃない人への先入観はどうだろうか。と考えるが、それはあまり考えられない。なぜなら、先入観というものは接したことの無い人、つまり初対面の人に対して存在するのがほとんどであるからだ。ほとんどというかすべてといってもいいくらいだろう。
先入観…最初に知ったことによってつくられる固定観念。先入見。先入主。
多く、自由な思考の妨げとなるものとしていう。
(大修館書店、明鏡国語辞典より)
と、“続・好き嫌いについて”の主張として書いたわけですが、結論としては“好き嫌いの主張”と同じです。
“万人に好かれることは不可能”だが、“万人を好くことは可能”。もちろん、万人を好くというのは恋愛としての形じゃなく、友達としての形です。その中に一つ、恋愛としての形の好きがあるんでしょう。
というわけで“続・好き嫌いについて”の主張でした。
今日はなおきと一緒に買い物へ行きました。マジック同好会の活動かな。マジック部(つまり昇進)になれるよう頑張ろう!と。
そういえば、ポルノグラフィティの新曲“ジョバイロ”が主題歌になっているTBS系ドラマ“今夜ひとりのベッドで”を観ましたよ。
良いよ。
ポルノグラフィティが主題歌だからってんじゃなくて、面白いですよ。っていうか奥菜恵さんが好きなんですよ。要潤さんも好き。
では終わります。さよ〜なり〜♪
楽に行こう!!
