ふとそんなことを思った。

ふと思ったことを書き綴ってみる。深い意味は無いけれど。

積極的な態度をとることと、出しゃばることのはっきりした違いってよくわかんなかったりするし、

他人に気を遣うことと、八方美人になることのはっきりした違いってよくわかんなかったりする。

僕は人の心なんて読めなければ、相手の考えを丸ごとすべて理解出来るほど完成された人間でもない。ただ、理解するための努力は惜しまない。

無論、それは誰にでも当てはまることかもしれないが。

例えば、仮に何か一つ、自分の中で引っかかるようなことがあって、それの詳細はほとんどわかっていない状態だったとしたら、僕は勝手に一人で考え込む。

昔からそうだ。

そして、あらゆる可能性を脳内で展開させ、それらの一つ一つにあらゆる結論を付加する。それらが正しいか間違いかは別として。

勿論、そのわかっていない詳細を知る術が皆無というわけではない。ただ、どう進めるのか。あらゆる術の中から一つを選び、実行することになる。いわば勇気に似た何かを消費することでもある。

それは減るものじゃないとしても、どこかで別のダメージを受けるかもしれない。受けないかもしれない。逆に回復になるかもしれない。

最初に言った“積極性と出しゃばり”“気遣いと八方美人”のように、似ているようで、かつ表裏一体に在るようなもののはっきりした境界線はわからない。

いずれにしても紙一重な気はする。

結局、考えてもわからないことは腐るほどあって、少しずつでも前に進まなければ、その引っかかったものは引っかかったままだ。雨が降れば濡れてしまい、重みを増す。

自分で駒を動かしたことによって、引っかかったものの詳細や結論が少しでも得られるのであれば、前に進む価値は在るのではないだろうか。

それが仮に間違いであったとしても立ち止まったままよりかはいいと思える。そんな気がする。

時には単純作業の繰り返しだってあるだろうし、本当に前に進んでるのかわからないときだってあるかもしれない。

それでも前に進んでいることを信じて歩き続けるのが最良なのではないか。

ふとそんなことを思った。

なんかすごいこと書いてるっぽいけど、当たり前のことのような気もする。