思考という名のベクトル。

英語の課題(正確には計算機システム概論の課題)をやらなきゃ!!と思ってはいるものの、なかなか手をつけられずにいます。

別に「時間がない!!」とかじゃなく、なんだかモチベーション上がらねー。ってか、難しいみたいだから、早めに取り掛からないと。っていうのもわかってはいるんだけどね。

生きている以上(まぁ死んだ状態になったことはないから、この場合は生きている以上、としか言えないけれど)、悩み事や心配事は尽きないのであって、

悩みが無いことが悩み、という言葉?もあるくらいだから、誰しもオープンであれ、人知れずであれ、悩みやその類のものを抱えているのでしょう。

それらは1度に1つと決まっているわけではなく、ある時は蓄積されたダメージのように、ある時は電光石火の如く、イメージし難いけど、

抱えるときは2つ、3つ抱えることもある。仮に僕が今、幾つかの悩みや心配事を抱えているとして、それらを具体的に列挙することは出来ないけれど、

そのどれもが大きな悩みを持っている人と比べれば、ちっちゃいものであることは認識出来るだろう。無論、悩みの種類は人それぞれだから、それらをどのような基準で比べるかがわからない、という問題はあるが。

なんにせよ、それらのちっちゃな悩みの1つ1つに対して、おそらく、僕ははっきりした結論を求めたがる。これが悪い事であると言うつもりは無いが、単衣に良い事であると決定づけるつもりもない。

仮に僕が認識出来る、今ある幾つかの悩みの果てに、ある事象(悪いパターンだけでなく、良いパターンも含めて)が起こったとしても、そういった出来事、事象が起こるものが人生であるならば、それはそれでいいと思えるかもしれない。

それが僕の求めるであろう、はっきりした結論であってもなくてもだ。

又、勿論、その事象が良いパターンであることに越したことはないが、たとえ、悪いパターンであったとしても、それを良い方向に考えられるかどうか、ということも大切なのだと思う。

要するに何が言いたいのかと言うと、

“なんとかなる”

ってこと。あ、これは先に書いた英語の課題についてではなく、又、何か1つの悩みを指して書いたわけでもないです。

こうやって“なんとかなる”って思えば、どんな悩みでも多少は、少なくとも小さじ一杯分くらいは、楽になるのではないだろうか。

なんとかまとまって良かったです。

これからバイトなので、昨日書いた金曜日の履修の話とかは明日にでも書きます。