願望と寄り添って歩いてみる。(vol.2)

いつだったか探してみた。そんで見つけた。2007年9月19日の日記、タイトルは『願望が独り歩きしない程度に考えてみる。』。興味があったら、ちょっくら読んでみて下され。

『今、一つの決定的な事柄から派生した幾つかの問題について、この頭をほぼフル回転させて考えてるんだけど、』

というのが、日記自体のじゃなくて、その話の冒頭になっていて、このときの結論部分は、

『でもやっぱちょっとずつは、考えるのかもしれない。願望が独り歩きしない程度に。』

となっている。この最初と最後の1〜2行だけじゃ、意味はわからない。だけど、全体を通して読んでも話の核心部分はわからない。あえてそういう風にしたわけなんだけど。

その日のコメントの中にあった、とびをさんからの言葉。

『何だかよくわからないけれど、少し時間を置いたり 距離を取ってみると見えてくるものもあるよ。』

意識的に時間を置いたり、距離を取ってみたわけではないかもしれないけれど、以前より考えなくなった。そして、最近、そう、一週間くらい前のある出来事をきっかけに再思考が始まった。

前までは、そのことが完全なる“願望”という形で輝いていたんだけど、今はどちらかと言えば“理想”に近い感じ。

どう違うのかって話だけど、正確に説明するのは難しい。もしかしたら≒の関係かもしれないし。この場合の“理想”を言い換えるならば…“最良”とか。

厳密には“今考え得る最良”ってところか。無論、やってみないと最良かどうかの結果はわからないけど。ただ、“今考え得る”ってことだから、やってみる価値は大いにある気がする。

甘い??そして、考えが浅い??

前回の冒頭にあるように『派生した幾つかの問題』ってのがあるのね。だけど、その中の幾つかは解決出来るだろうし、他の幾つかについても新たな道が開ける、否、開く。

これまでは“今すぐ決める必要はなかった”から考えなかったけど(それが悪かったとかじゃなくて。むしろ良かった)、これからはしっかり見据えて考えて行こうと、そう思うんだ。

話変わるけど、前に、『Super Festivalの帰り、家に懐かしの友人が訪ねてきたっていうメールが母親から来て、その友人と電話で話した』っていう話書いたでしょ。

その友達、小1のときに初めて出来た小学校の友達で、すっごい仲良くて毎日のように野球したりして遊んでた子なんだけど、高校は別だったってのもあって、中学卒業以来、ほとんど会ってなかったのね。

で、さっき彼から電話かかってきて、近くに来てるから会わないか??と。もう一人、同じく小中学校が一緒だった友達と3人で。

3人とも、外見こそあまり変わらないなーって感じだったけど、声は低かった電球

声変わりって段階あるのかな、って思ったくらい。まぁそれはいいとして、近況報告から懐かしい話まで、短い時間ではあったけど、色々話しました。

『じゃあ、また手(パー)』って言った後、僕が道路を横断して家へ戻ったくらいに聞こえた車のエンジン音はおそらく彼らの車だろう。

小中学校一緒で、高校は別々。そして、今の環境(大学とか仕事とかetc)は高校が別々ってことよりも別々な感じ。なんか大人になってきたなー、って。

そんなことを考えながらも、前と変わらぬ接し方に嬉しさと懐かしさを感じたのでしたわーい(嬉しい顔)