不謹慎かもだけど、公開制限のあるmixiに残すことにしました。
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その訃報を聞いたのは、20日の夜21時頃でした。
最初はそんな感じではなく、そういう意味でもほんとに急でした。
入退院を繰り返してたって話を初めて知ったくらいの僕は、
「どこか病気なの?」っていう程度の認識でいました。
その夜の父親との電話から、「ちょっと心配だから」と
祖母と伯父が病院に駆けつけた話を聞き、
そして次にかかってきた電話で、「息を引き取った」と。
何がどうなってこんな早く物事が進んでいったのか、
飲み込むまでに時間を要したけれど、何をすればいいかは
不思議とすぐに理解して、航空券の手配などをしました。
乗ったのはANAじゃないけれど。
翌日、午前の便で両親が宮崎へ飛びました。
僕と兄はその日は仕事へ行き、翌日から忌引休暇をもらい、宮崎へ。
22日が通夜で、23日が告別式でした。
台風が去った後の九州は気温が高く、それはもう真夏の暑さ。
僕と兄が到着したのは昼の13時頃。迎えに来てくれた従姉2人と昼食。
祖父母家に立ち寄って着替えた後、通夜の会場へ。
そこで亡くなった祖父、つまり棺の中の祖父と対面しました。
ほんと、単に眠ってるだけでした。
今にも起きて、いつものように焼酎でも飲みそうな優しい顔つきで
眠った様子を僕はこれから先、きっと忘れないと思います。
ありふれた表現かもしれないけれど、ほんとにそう思いました。
4人の子どもと、9人の孫、さらに8人のひ孫に恵まれた祖父は
戦争中には満州国へ赴き、そこから帰還した軍人でした。
戦後は農業や酪農(牛)に加え、工務店でも働いていたそう。
享年93歳。
一度、僕が小学生の頃に祖母と一緒に横浜へ遊びに来ました。
一緒に船に乗ったりした記憶があります。
何より覚えているのは祖父が自分のためにと買って行ったお土産。
野球の硬式ボール。
身体を鍛えるためにエキスパンダーをはじめとする筋トレをしていた祖父は、
一人で壁当てをするためにボールを買って行ったのです。
だからってわけじゃないけど、身体はすごく丈夫で、
もっともっと100歳よりもっと長生きするってほんとに信じてました。
僕は9人のイトコの中で一番年下です。22歳。
もちろん現時点で、結婚もしてなければ子ども(ひ孫)もいないけれど、
「就職したよ」、その報告ができたことだけは良かったのかもしれません。
翌日、告別式は通夜と同じ会場で行われました。
気付いたら涙が出ていました。
いろいろな儀式の後、参列者が一人一人、棺の中にお花を入れていき、
そして棺を抱えて霊柩車に入れるときにはもう。
この後、遺体を燃やし、骨を拾いに行きました。
祖父が亡くなった実感は、骨を拾って納骨した時に初めて感じました。
だって、ずっとそこで眠っていただけだったから。
24日の午前の便で東京へ帰り、また日常に戻りました。
一緒に住んでもいなければ、近くに住んでいたわけでもないから
日常は日常で変わらないけれど、それでもやっぱり「いない」のです。
もしも天国があるならば、
またいつかそこで、逢えたらいいな、と切に願います。
